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【例会報告】第252回例会 小島峠と亀尻峠

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日程: 2022年7月10日(日) 場所:三好市東祖谷菅生 小島峠、東祖谷西山 亀尻峠 参加者:会員15 名、一般1名 寛政5年(1793年)に記された祖谷紀行にも載っている小島峠と亀尻峠を訪れました。 現在の[新]小島峠は県道261号(菅生伊良原線)にありますが、訪れた[旧]小島峠は、県道の[新]小島峠から南西に500mほど離れた標高1316mの場所にあります。 中世の菅生領主が、他領地から『おしま』という女を連れてこの峠を還ったことから峠の名がついたとの説があります。峠には天明6年(1786年)建立の地蔵が、現在も現地の方のお世話により綺麗に祀られています。 旧小島峠 小島峠の地蔵 亀尻峠にはあごなし地蔵が祀られています。 あごなし地蔵は隠岐が発祥で、歯医者がなかった時代に、あごなし地蔵をお参りして歯の健康、治癒を祈念したそうです。 平安時代の嵯峨天皇の時に、小野妹子の子孫にあたる小野篁(たかむら)という人が遣唐使の選出を断ったために隠岐へ島流しにされました。その後、小野篁は、隠岐で『あこな』という地元の娘と知り合い親密な仲となりました。ところが、2年後に小野篁は京都へ帰ることになり、あこなとの別れを惜しみ地蔵を2体彫り渡しました。後世に、この地蔵が首から上の病気、特に歯痛の悩みを聞いてくれると有名になり、これにあやかり、隠岐で彫ったあごなし地蔵を日本各地へ持ち帰り歯痛の祈念をするようになったとのことです。あこなの地蔵が、あごなし地蔵へ転訛したと謂われています(諸説あり) 亀尻峠のあごなし地蔵は、明治20年に阿佐地区の平尾大吉という方が明治20年に48歳の時に隠岐から持ち帰ったものらしいです。歯痛で苦しんでいる村人のために持ち帰って峠へお祀りしたのでしょう。 亀尻峠へ向かう 亀尻峠 あごなし地蔵