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【例会報告】第266回例会 丹前峠

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日程:2023年12月10日(日) 場所:海部郡美波町 丹前峠  参加者:会員7 名 美波町主催の丹前峠ウォーキングイベントと一緒に活動させていただきました。 コースは、道の駅日和佐~薬王寺~日和佐川~玉木八幡神社~丹前峠~打越寺~JR山河内駅でした。12月とは思えないほどの陽気の中、ウォーキングイベント参加の皆さんと愉しく歩くことが出来ました。    

【例会報告】第263回例会 寒峰峠

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日程:2023年9月24日(日) 場所:三好市東祖谷奥の井 寒峰峠 参加者:会員14 名 寒峰峠は、東祖谷の寒峰(1604.8m)を南側に400mほど下ったところにあります。 今回は東祖谷奥ノ井側から寒峰峠までを往復し、途中にある寒峰峠に説明板と標識を設置しました。峠については、設置した説明板の内容を最後に記します。寒峰までの行程中には福寿草の群生地があり2月頃のシーズンにはたくさんの登山者が訪れます。今回の例会では福寿草に出会うことはできませんが、寒峰頂上周辺でたくさんのススキが広がる風景が観られました。また寒峰の頂きからは360°周囲を見渡すことができ、天候にも恵まれて、すばらしい眺望を楽しむことができました。 寒峰峠 寒峰とススキ 寒峰峠の標識 寒峰峠(標高1495メートル) 『東祖谷山村史』によると、寿永4年(1185年)2月、屋島の戦いに敗れた平国盛一行百余騎は、安徳天皇を奉じて讃岐の主水の庄(現在の東かがわ市)にしばらく潜伏した後、大山を越えて阿波に出て、吉野川を遡り、辻から井内谷を通り寒峰(1604.8メートル)に登って、この寒峰峠を経て東祖谷大枝の地に至ったらしい。この地を永住の地と定めた平国盛一行は、神社を建てて鉾を祀った。「鉾神社」には、国盛が記念に植えたとされる大杉が今も残り「国盛杉」と呼ばれている。近辺の11の集落(名)を従え、阿佐を拠所に再挙の日を待ったと伝わっている。 『峠の石造民俗(2000年刊)』によると、寒峰峠は「寒峰のお大師さん」と呼ばれ、峠には大師堂があったようで、その礎石と二基の囲炉裏跡が残っている。礎石から推定すると、奥行き2間半、建坪22畳半あったとのこと。この峠は、加茂から深渕、落合峠を経て、大枝、栃ノ瀬、笹峠を経て高知県大栃を結ぶ交通路で「新道」と呼ばれ、道幅は1間くらいあったようだ。(阿波の峠を歩く会)

【例会報告】第258回例会 四ツ足堂峠

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日程:2023年4月2日(日) 場所:那賀郡那賀町木頭北川日和田 四ツ足堂峠 参加者:会員14 名、一般参加1名 徳島と高知の県境にある四ツ足堂峠は、昭和39年峠の下にトンネルができるまで両県を結ぶ重要な交通路でした。古くは『傍示峠』『比志利賀峠』とも呼ばれ、高知側からは塩や魚など海の産物、徳島側からはミツマタなど山の産物が峠を通って搬出入されていました。 峠には、名の由来である四ツ足堂が建ち、お堂の中に本尊の地蔵尊が祀られています(いるはずであった)。ところが今回の下見で四ツ足堂を訪れると、お堂は大きく傾き今にも崩れ落ちそうな傷み具合。しかも祀られているはずの地蔵尊が見当たらず、お堂の中の朽ちた木材を払い除け探すと、腐葉土の中に埋まった地蔵様が見つかりました。 この状況を見て、今回の例会に合わせ、阿波の峠を歩く会で、地蔵を祀るための小さな木の祠をお堂内に設置することとしました。 ミツマタ群落 沢で休憩 四ツ足堂峠 四ツ足堂 四ツ足堂 祠設置後 祠 地蔵尊。素朴な石像でやさしいお顔です また、お堂を訪れた方に見ていただけるよう、現地には説明板も設置しました(下記) 四ツ足堂の沿革 天成16年(1588)に実施・記録された『長宗我部地検帳』に「阿波との境は峯堂まで」との記載があることから「四ツ足堂」の創建はそれ以前と考えられる。地蔵尊は上韮生村(かみにろうむら)の領主・窪源兵衛盛弘が寛永14年(1637)に建立したものと伝わる。元禄12年(1699)に消滅していた“一間四面かやぶきの堂”が阿波・土佐両藩の立会いのもとに現在の位置に再建された。お堂の正面に向かって左側2本の柱は土佐藩側、右の2本は阿波藩側に立てられ、このお堂を「四ツ足堂」と呼んだ。その後、享和元年(1801)の再建記録も残っている。この四ツ足堂峠を越える古道は、那賀川と物部川沿いの道を結ぶとともに阿波と土佐の各国府跡間の最短ルートで、養老2年(719)から神亀元年(724)に全国的に整備された「養老官道」とも云われている。昭和39年(1964)に四ツ足峠トンネルが開通した際、この地蔵尊をトンネル内に移そうとしたが隠れていなくなったため、トンネル内には新しい地蔵尊を建立したらしい。この由緒あるお堂と地蔵尊を重要な文化財として後世に遺して伝えたいものである。

【例会報告】第257回例会 居敷越

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日程:2023年3 月5 日(日) 場所:海部郡海陽町中山居敷 居敷越 参加者:会員17 名 居敷越は海陽町中山居敷と宍喰町那佐を結ぶ峠です。この地域では、江戸時代に土佐街道でもあった馬路越と共に物・人の往来にとって重要なルートであり、戦後まではたくさんの人が利用していました。 今回は北側の中山居敷から峠を越え、南側の宍喰那佐へ抜けるコースを歩きました。峠みちに取りつく前に、雨乞いの慣習が残る明神谷の轟の滝に立ち寄りました。冬季の為、水量が少なかったのが残念ですが綺麗な谷川沿い歩きを満喫することができました。 谷川を越えて 轟の滝にて 居敷越えは標高142ⅿと手軽に峠歩きが楽しめるコースです。事前に会員がシダ刈りなど整備していたので道は歩きやすく、予定よりも早く峠へ辿り着きました。 峠には二体の地蔵が祀られています。大正時代建立の地蔵と伝わっています。現在の峠は防風林に覆われて見晴らしは悪いですが、大正期は那佐湾が一望できたのでしょう。 居敷越の地蔵 峠で昼ごはんとしました。恒例となった副会長による峠カフェや、撮影・歓談で峠滞在を楽しみました。(副会長いつも有難うございます) 峠時間を愉しむ 峠行の後、牟岐町立図書館で開催中の『阿波の峠を歩く会 写真展』を訪れました。徳島県内の峠にある石造物を会員自らが撮った写真と紹介文をパネルに掲載しています。

【例会報告】第256回例会 八重地峠・後山峠

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日程: 2022年12月11日(日) 場所:勝浦郡上勝町 八重地峠、那賀郡那賀町 後山峠 参加者:会員12 名 八重地峠は上勝町旭八重地と那賀郡那賀町寺内を結ぶ峠で標高およそ1030mです。昭和初期、ここから標高1060mの後山峠までおよそ2.5㎞の間をトロッコが走っていました。今回はこのトロッコ道跡の一部を歩き、ハ重地峠、後山峠を訪れました。 八重地峠 八重地峠には、明治34年に建てられた地蔵尊像と不動明王像が仲良く並んでいます。二体の石像横に見えるトロッコ道(跡)は林業が盛んであった時代に、木材を運び出すためのものでしたが、現在はレールは撤収されています。 トロッコ軌道と後山峠 [徳島県林業史より] 現在の後山峠(モノクロ像にしてます) 後山峠にはトロッコ軌道の分岐がありました。徳島県林業史の中に当時の写真があるのでお借りします。比較のため現在の後山峠の写真を並べてみます。右奥方向が八重地峠、左奥方向が三つ尾の峠へ延びるトロッコ軌道です。中央奥には作業小屋らしきものも見え、現在もその場所は平坦で建造物があったことが伺えます。八重地峠へ向かうレール上には大きな丸木を積んだトロッコが走っています。

【例会報告】第255回例会 越太尾

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日程:2022年11 月26 日(土) 場所:勝浦郡上勝町 越太尾 参加者:会員15 名 上勝町旭にある越田尾(こえんたお)を歩きました。 ここは自動車が発達する前、徳島⇔木沢を歩いた往還道の一部でした。 今でも地元の方により峠周辺は綺麗に手入れされています。 当時を想い峠歩きが楽しめました。 越田尾で記念写真 参加者の感想を紹介します。 ・峠には石造物が多く地元の人々の信仰心が強かったこと、また大勢の人が往来し、周辺にたくさんの人が住んでいたことが偲ばれた ・餌付けされたヤマガラと触れ合うことができた。可愛かった ・峠にある大きな不動明王像がどういう経緯で立てられたのか?知りたいと思った

【例会報告】第254回例会 大坂峠古道

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日程: 2022年10月30日(日) 場所:鳴門市北灘町 大坂峠 参加者:会員13 名 義経も駆け抜けたといわれる大坂峠古道を訪れました。 東かがわ市坂元の大坂峠古道の案内板をスタートして、峠までの登りを古道、下りを明治以降に整備された旧道に沿ってあるきました。案内板によると大坂峠古道が讃岐坂元と徳島板野を結ぶ主要道であったことが書かれています。古道起点に立つ文化14年建立の『寿可多美乃地蔵(すがたみのじぞう)』の台座には大きく「右大坂道」と刻まれ、ここから大坂越えが始まることが判ります。                                   寿可多美乃地蔵 左 なる戸(鳴門)   右 大坂道 大坂越えの古道は文化庁の『歴史の道百選』にも選ばれていますが、人はあまり歩いていない様で荒れており残念ではありましたが、時折みられる丁石や水場から峠越えの古道雰囲気を感じることができました。 大坂峠周辺は広く拓けており、明治年代には『豆茶屋』『吟味所(番所)跡』『大師堂』があったとのことでその形跡を見ることが出来ました。 大坂峠にて