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【案内】『阿波の峠を歩く会』第25回写真展のご案内

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当会員が撮った『峠に関わる石造物、光景、動植物の写真』を紹介しております。 お気軽にお立ち寄りください。 〇期間 令和7年2月22日(土)~24日(月) 〇時間 22日・23日:午前9時~午後5時、24日:午前9時~午後3時 〇場所 小松島市中央会館1階 (徳島県小松島市松島町5番6号) 〇主催:阿波の峠を歩く会 〇後援:小松島市教育委員会、徳島新聞社 入場無料

【例会報告】第273回例会 銅山越

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日程:2024年9月29日(日) 場所:愛媛県新居浜市 銅山越  参加者:会員12 名 例会では久しぶりに徳島県外への峠行となりました。 銅山越は新居浜市の銅山峰にある標高1292mの峠で、別子峠とも呼ばれることがあります。銅山峰の地下には豊富な銅鉱脈が埋蔵され、江戸期から昭和の時代まで銅山として開坑されてきました。銅山越は、銅山道として別子産銅や銅山労務者の生活品などが行き交う、銅山物資輸送の大動脈でした。 日浦登山口から銅山越を経て、銅山峰で折り返す周遊コースを歩きました。道中は鉱山集落跡が点在しており、山を所有する住友グループが銅山の歴史を紹介する案内板を設置しており、歴史と自然を満喫する大満足の例会となりました。

【例会報告】第271回例会 大惣越

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日程:2024年6月16日(日) 場所:美馬郡つるぎ町半田大惣 大惣越  参加者:会員8 名、一般1名 美馬郡一宇 木地屋と、つるぎ町半田大惣の境にある標高1110mの峠は、『大惣越』『木地屋越』『石堂越』などと呼ばれ古くから生活道として使われてきた。 木地屋の地名が示すように、この辺りには木地師が住み着き木椀を作っていたと伝わっている。 文政8年(1825)俳人の武市信圭(蓼花)が祖谷山に旅した紀行文『祖谷山日記』に、次のような記述がある。 さてこの奥の山々に木挽とて五器(木椀)と言うものを作る男、媼、数多く、居付き職とす 家はなく、ただ仮りの小屋がけ、このあたりの木選びて器をつくりはべり、木尽れば、蚕の桑の葉を慕うごとく、また先なる山に入りてす 購うものこれを提て、半田という所にもち出たきり塗り装いて、浪花(大阪)なんどにも売るよし、主の刀自申しはべる  蓼花は、ここに住む木地師の特異な生活の様子について記している。木地師の製品は半田に運ばれ、そこで漆器となり大阪方面に出荷されていたようである。大惣越えは、木地屋から半田へ往く道中にあり、当時、木地師がたくさんの木椀を背負ってここを越えて行ったのだろう。 現在の大惣越は、盛土されて新道として整備し直され、人々が行き交った当時の様子を感じることはできない。わずかに木地屋方面に山道が残っている程度である。 大惣越えの西500ⅿに石堂神社があり、ここから尾根沿いに西に進むと石堂山、その先を南進すると矢筈山に達する。例会ではこの尾根沿いコースを歩いた。 矢筈山を背に小休憩 石堂山の御塔石

【例会報告】第269回例会 蟹ヶ峠

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日程:2024年4月28日(日) 場所:勝浦郡上勝町 蟹ヶ峠  参加者:会員12 名 蟹ヶ峠は、上勝町と那賀町の境、標高700mにある峠です。この峠は、昭和になって道路が整備されるまでは、木頭、上那賀、鷲敷から上勝、勝浦の横瀬を経て徳島城下を結ぶ重要な生活道でした。 例会では上勝町月ヶ谷方面より吉ヶ平を通って蟹ヶ峠を目指し歩きました。 吉ヶ平の岩屋 吉ヶ平集落跡を歩く 蟹ヶ峠 峠の石造物

【例会報告】第266回例会 丹前峠

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日程:2023年12月10日(日) 場所:海部郡美波町 丹前峠  参加者:会員7 名 美波町主催の丹前峠ウォーキングイベントと一緒に活動させていただきました。 コースは、道の駅日和佐~薬王寺~日和佐川~玉木八幡神社~丹前峠~打越寺~JR山河内駅でした。12月とは思えないほどの陽気の中、ウォーキングイベント参加の皆さんと愉しく歩くことが出来ました。    

【例会報告】第263回例会 寒峰峠

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日程:2023年9月24日(日) 場所:三好市東祖谷奥の井 寒峰峠 参加者:会員14 名 寒峰峠は、東祖谷の寒峰(1604.8m)を南側に400mほど下ったところにあります。 今回は東祖谷奥ノ井側から寒峰峠までを往復し、途中にある寒峰峠に説明板と標識を設置しました。峠については、設置した説明板の内容を最後に記します。寒峰までの行程中には福寿草の群生地があり2月頃のシーズンにはたくさんの登山者が訪れます。今回の例会では福寿草に出会うことはできませんが、寒峰頂上周辺でたくさんのススキが広がる風景が観られました。また寒峰の頂きからは360°周囲を見渡すことができ、天候にも恵まれて、すばらしい眺望を楽しむことができました。 寒峰峠 寒峰とススキ 寒峰峠の標識 寒峰峠(標高1495メートル) 『東祖谷山村史』によると、寿永4年(1185年)2月、屋島の戦いに敗れた平国盛一行百余騎は、安徳天皇を奉じて讃岐の主水の庄(現在の東かがわ市)にしばらく潜伏した後、大山を越えて阿波に出て、吉野川を遡り、辻から井内谷を通り寒峰(1604.8メートル)に登って、この寒峰峠を経て東祖谷大枝の地に至ったらしい。この地を永住の地と定めた平国盛一行は、神社を建てて鉾を祀った。「鉾神社」には、国盛が記念に植えたとされる大杉が今も残り「国盛杉」と呼ばれている。近辺の11の集落(名)を従え、阿佐を拠所に再挙の日を待ったと伝わっている。 『峠の石造民俗(2000年刊)』によると、寒峰峠は「寒峰のお大師さん」と呼ばれ、峠には大師堂があったようで、その礎石と二基の囲炉裏跡が残っている。礎石から推定すると、奥行き2間半、建坪22畳半あったとのこと。この峠は、加茂から深渕、落合峠を経て、大枝、栃ノ瀬、笹峠を経て高知県大栃を結ぶ交通路で「新道」と呼ばれ、道幅は1間くらいあったようだ。(阿波の峠を歩く会)

【例会報告】第258回例会 四ツ足堂峠

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日程:2023年4月2日(日) 場所:那賀郡那賀町木頭北川日和田 四ツ足堂峠 参加者:会員14 名、一般参加1名 徳島と高知の県境にある四ツ足堂峠は、昭和39年峠の下にトンネルができるまで両県を結ぶ重要な交通路でした。古くは『傍示峠』『比志利賀峠』とも呼ばれ、高知側からは塩や魚など海の産物、徳島側からはミツマタなど山の産物が峠を通って搬出入されていました。 峠には、名の由来である四ツ足堂が建ち、お堂の中に本尊の地蔵尊が祀られています(いるはずであった)。ところが今回の下見で四ツ足堂を訪れると、お堂は大きく傾き今にも崩れ落ちそうな傷み具合。しかも祀られているはずの地蔵尊が見当たらず、お堂の中の朽ちた木材を払い除け探すと、腐葉土の中に埋まった地蔵様が見つかりました。 この状況を見て、今回の例会に合わせ、阿波の峠を歩く会で、地蔵を祀るための小さな木の祠をお堂内に設置することとしました。 ミツマタ群落 沢で休憩 四ツ足堂峠 四ツ足堂 四ツ足堂 祠設置後 祠 地蔵尊。素朴な石像でやさしいお顔です また、お堂を訪れた方に見ていただけるよう、現地には説明板も設置しました(下記) 四ツ足堂の沿革 天成16年(1588)に実施・記録された『長宗我部地検帳』に「阿波との境は峯堂まで」との記載があることから「四ツ足堂」の創建はそれ以前と考えられる。地蔵尊は上韮生村(かみにろうむら)の領主・窪源兵衛盛弘が寛永14年(1637)に建立したものと伝わる。元禄12年(1699)に消滅していた“一間四面かやぶきの堂”が阿波・土佐両藩の立会いのもとに現在の位置に再建された。お堂の正面に向かって左側2本の柱は土佐藩側、右の2本は阿波藩側に立てられ、このお堂を「四ツ足堂」と呼んだ。その後、享和元年(1801)の再建記録も残っている。この四ツ足堂峠を越える古道は、那賀川と物部川沿いの道を結ぶとともに阿波と土佐の各国府跡間の最短ルートで、養老2年(719)から神亀元年(724)に全国的に整備された「養老官道」とも云われている。昭和39年(1964)に四ツ足峠トンネルが開通した際、この地蔵尊をトンネル内に移そうとしたが隠れていなくなったため、トンネル内には新しい地蔵尊を建立したらしい。この由緒あるお堂と地蔵尊を重要な文化財として後世に遺して伝えたいものである。