日程:2023年9月24日(日) 場所:三好市東祖谷奥の井 寒峰峠 参加者:会員14 名 寒峰峠は、東祖谷の寒峰(1604.8m)を南側に400mほど下ったところにあります。 今回は東祖谷奥ノ井側から寒峰峠までを往復し、途中にある寒峰峠に説明板と標識を設置しました。峠については、設置した説明板の内容を最後に記します。寒峰までの行程中には福寿草の群生地があり2月頃のシーズンにはたくさんの登山者が訪れます。今回の例会では福寿草に出会うことはできませんが、寒峰頂上周辺でたくさんのススキが広がる風景が観られました。また寒峰の頂きからは360°周囲を見渡すことができ、天候にも恵まれて、すばらしい眺望を楽しむことができました。 寒峰峠 寒峰とススキ 寒峰峠の標識 寒峰峠(標高1495メートル) 『東祖谷山村史』によると、寿永4年(1185年)2月、屋島の戦いに敗れた平国盛一行百余騎は、安徳天皇を奉じて讃岐の主水の庄(現在の東かがわ市)にしばらく潜伏した後、大山を越えて阿波に出て、吉野川を遡り、辻から井内谷を通り寒峰(1604.8メートル)に登って、この寒峰峠を経て東祖谷大枝の地に至ったらしい。この地を永住の地と定めた平国盛一行は、神社を建てて鉾を祀った。「鉾神社」には、国盛が記念に植えたとされる大杉が今も残り「国盛杉」と呼ばれている。近辺の11の集落(名)を従え、阿佐を拠所に再挙の日を待ったと伝わっている。 『峠の石造民俗(2000年刊)』によると、寒峰峠は「寒峰のお大師さん」と呼ばれ、峠には大師堂があったようで、その礎石と二基の囲炉裏跡が残っている。礎石から推定すると、奥行き2間半、建坪22畳半あったとのこと。この峠は、加茂から深渕、落合峠を経て、大枝、栃ノ瀬、笹峠を経て高知県大栃を結ぶ交通路で「新道」と呼ばれ、道幅は1間くらいあったようだ。(阿波の峠を歩く会)