【例会報告】第258回例会 四ツ足堂峠

日程:2023年4月2日(日)

場所:那賀郡那賀町木頭北川日和田 四ツ足堂峠

参加者:会員14名、一般参加1名

徳島と高知の県境にある四ツ足堂峠は、昭和39年峠の下にトンネルができるまで両県を結ぶ重要な交通路でした。古くは『傍示峠』『比志利賀峠』とも呼ばれ、高知側からは塩や魚など海の産物、徳島側からはミツマタなど山の産物が峠を通って搬出入されていました。

峠には、名の由来である四ツ足堂が建ち、お堂の中に本尊の地蔵尊が祀られています(いるはずであった)。ところが今回の下見で四ツ足堂を訪れると、お堂は大きく傾き今にも崩れ落ちそうな傷み具合。しかも祀られているはずの地蔵尊が見当たらず、お堂の中の朽ちた木材を払い除け探すと、腐葉土の中に埋まった地蔵様が見つかりました。

この状況を見て、今回の例会に合わせ、阿波の峠を歩く会で、地蔵を祀るための小さな木の祠をお堂内に設置することとしました。

ミツマタ群落

沢で休憩

四ツ足堂峠

四ツ足堂

四ツ足堂 祠設置後


地蔵尊。素朴な石像でやさしいお顔です


また、お堂を訪れた方に見ていただけるよう、現地には説明板も設置しました(下記)

四ツ足堂の沿革

天成16年(1588)に実施・記録された『長宗我部地検帳』に「阿波との境は峯堂まで」との記載があることから「四ツ足堂」の創建はそれ以前と考えられる。地蔵尊は上韮生村(かみにろうむら)の領主・窪源兵衛盛弘が寛永14年(1637)に建立したものと伝わる。元禄12年(1699)に消滅していた“一間四面かやぶきの堂”が阿波・土佐両藩の立会いのもとに現在の位置に再建された。お堂の正面に向かって左側2本の柱は土佐藩側、右の2本は阿波藩側に立てられ、このお堂を「四ツ足堂」と呼んだ。その後、享和元年(1801)の再建記録も残っている。この四ツ足堂峠を越える古道は、那賀川と物部川沿いの道を結ぶとともに阿波と土佐の各国府跡間の最短ルートで、養老2年(719)から神亀元年(724)に全国的に整備された「養老官道」とも云われている。昭和39年(1964)に四ツ足峠トンネルが開通した際、この地蔵尊をトンネル内に移そうとしたが隠れていなくなったため、トンネル内には新しい地蔵尊を建立したらしい。この由緒あるお堂と地蔵尊を重要な文化財として後世に遺して伝えたいものである。

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