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【例会報告】第283回例会 天狗峠

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日程:2025年9月28日(日) 場所:三好市東祖谷西山 天狗峠 参加者:会員7 名 残暑を避けて涼しい高所の峠を歩こうと天狗峠を計画しましたが、当日はあいにくの雨と霧、さらには強風吹き荒れる厳しい天候に見舞われました。 しかし今回の山行にはこの悪天候を押してでも遂行したい、もう一つの大切な目的がありました。それは、天狗峠から南に進んだ「地蔵の頭」と呼ばれるピークの岩陰に佇む、地蔵尊の案内板を設置することでした。 この地に祀られている地蔵尊の由来を風化させてはならないという強い思いから、今回の設置に至りました。荒天の中での峠行となりましたが、無事に設置を終えたことで、これからはこの地を訪れる方々に、この地蔵尊の歴史を伝えていけるものと確信しています。 地蔵尊の由来についての案内板の内容を以下に記します。 地蔵尊の由来 天保12年(1841)12月25日、大飢饉と重税に苦しんでいた奥祖谷の農民630人が京柱峠を越えて土佐に逃散した。この前後、上郡(「かみごおり」と呼び、旧美馬・三好郡)一帯で4000人規模の打ちこわしや一揆が起こった。12月4日に発生した「山城谷騒動」では、農民631人が伊予の今治藩(松平家)に逃散したが、今治藩のとりなしもあり、10日後に全員帰村し要望もほぼ認められた。その影響も受けての土佐藩への逃散だったが、阿波へ引き戻された後、首謀者とされた大枝名(「名」は集落)国五郎と小川名の武右衛門、西山名の円之助が斬首刑となり、その首は京柱峠で10日間晒された。『東祖谷山村誌』は「武右衛門と円之助は牢死だった」と伝えている。 この地蔵尊は西方の京柱峠に向かって立っている。平成17年、本会員だった阿部昭良氏が発見し、翌年の「阿波学会・総合学術調査」で今は亡き橘禎男会長(当時)が西山集落の聞き取り調査を行い、「祖谷山一揆」で晒首された”円之助”の霊を弔って建立されたという伝承があることを突き止めた。地蔵尊の正面に「奉納地蔵 久保名 道五良」の刻銘がある。山麓・久保集落の住人だった”道五良”なる人物が奉納したことがわかる。残念ながら、建立年代についての刻銘はなく不明である。 【参考書籍】『東祖谷山村誌』(昭和53年発行・東祖谷山村誌編集委員会)、『阿波の峠 今昔』(平成22年発行・橘禎男著)、『三好郡歴史散歩』(昭和55年発行・吉岡浅一著) 霧で見えない京柱峠に...

【例会報告】第278回例会 阿部坂

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日程:2025年3月23日(日) 場所:海部郡美波町阿部 阿部坂  参加者:会員12 名 阿部坂は、阿南市椿町船頭ヶ谷から(旧由岐町)美波町阿部へ至る峠越えの坂道です。下見の際、船頭ヶ谷在住の高齢男性に話を伺ったところ、地元では『阿部みち』と呼ばれていたそうです。船頭ヶ谷からは峠へ向かって三つのルートがあり、それぞれ『ひがしのみち』『なかみち』『にしみち』と呼んでいたとのことです。三つの道は峠周辺で合流し、阿部に向かっては一本の下り坂となります。男性が子どもの頃は、この道を通って船頭ヶ谷からは農作物が、阿部からは海産物が運ばれていたそうです。 現在、『にしみち』のみが【四国のみち】の一部として明瞭に残っていますが、他の二つのルートは人が通らず廃道化しています。例会では、船頭ヶ谷から登山道を経て明神山を目指し、帰り道に『にしみち』を歩きました。

【案内】『阿波の峠を歩く会』第25回写真展のご案内

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当会員が撮った『峠に関わる石造物、光景、動植物の写真』を紹介しております。 お気軽にお立ち寄りください。 〇期間 令和7年2月22日(土)~24日(月) 〇時間 22日・23日:午前9時~午後5時、24日:午前9時~午後3時 〇場所 小松島市中央会館1階 (徳島県小松島市松島町5番6号) 〇主催:阿波の峠を歩く会 〇後援:小松島市教育委員会、徳島新聞社 入場無料

【例会報告】第273回例会 銅山越

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日程:2024年9月29日(日) 場所:愛媛県新居浜市 銅山越  参加者:会員12 名 例会では久しぶりに徳島県外への峠行となりました。 銅山越は新居浜市の銅山峰にある標高1292mの峠で、別子峠とも呼ばれることがあります。銅山峰の地下には豊富な銅鉱脈が埋蔵され、江戸期から昭和の時代まで銅山として開坑されてきました。銅山越は、銅山道として別子産銅や銅山労務者の生活品などが行き交う、銅山物資輸送の大動脈でした。 日浦登山口から銅山越を経て、銅山峰で折り返す周遊コースを歩きました。道中は鉱山集落跡が点在しており、山を所有する住友グループが銅山の歴史を紹介する案内板を設置しており、歴史と自然を満喫する大満足の例会となりました。

【例会報告】第271回例会 大惣越

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日程:2024年6月16日(日) 場所:美馬郡つるぎ町半田大惣 大惣越  参加者:会員8 名、一般1名 美馬郡一宇 木地屋と、つるぎ町半田大惣の境にある標高1110mの峠は、『大惣越』『木地屋越』『石堂越』などと呼ばれ古くから生活道として使われてきた。 木地屋の地名が示すように、この辺りには木地師が住み着き木椀を作っていたと伝わっている。 文政8年(1825)俳人の武市信圭(蓼花)が祖谷山に旅した紀行文『祖谷山日記』に、次のような記述がある。 さてこの奥の山々に木挽とて五器(木椀)と言うものを作る男、媼、数多く、居付き職とす 家はなく、ただ仮りの小屋がけ、このあたりの木選びて器をつくりはべり、木尽れば、蚕の桑の葉を慕うごとく、また先なる山に入りてす 購うものこれを提て、半田という所にもち出たきり塗り装いて、浪花(大阪)なんどにも売るよし、主の刀自申しはべる  蓼花は、ここに住む木地師の特異な生活の様子について記している。木地師の製品は半田に運ばれ、そこで漆器となり大阪方面に出荷されていたようである。大惣越えは、木地屋から半田へ往く道中にあり、当時、木地師がたくさんの木椀を背負ってここを越えて行ったのだろう。 現在の大惣越は、盛土されて新道として整備し直され、人々が行き交った当時の様子を感じることはできない。わずかに木地屋方面に山道が残っている程度である。 大惣越えの西500ⅿに石堂神社があり、ここから尾根沿いに西に進むと石堂山、その先を南進すると矢筈山に達する。例会ではこの尾根沿いコースを歩いた。 矢筈山を背に小休憩 石堂山の御塔石

【例会報告】第269回例会 蟹ヶ峠

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日程:2024年4月28日(日) 場所:勝浦郡上勝町 蟹ヶ峠  参加者:会員12 名 蟹ヶ峠は、上勝町と那賀町の境、標高700mにある峠です。この峠は、昭和になって道路が整備されるまでは、木頭、上那賀、鷲敷から上勝、勝浦の横瀬を経て徳島城下を結ぶ重要な生活道でした。 例会では上勝町月ヶ谷方面より吉ヶ平を通って蟹ヶ峠を目指し歩きました。 吉ヶ平の岩屋 吉ヶ平集落跡を歩く 蟹ヶ峠 峠の石造物

【例会報告】第266回例会 丹前峠

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日程:2023年12月10日(日) 場所:海部郡美波町 丹前峠  参加者:会員7 名 美波町主催の丹前峠ウォーキングイベントと一緒に活動させていただきました。 コースは、道の駅日和佐~薬王寺~日和佐川~玉木八幡神社~丹前峠~打越寺~JR山河内駅でした。12月とは思えないほどの陽気の中、ウォーキングイベント参加の皆さんと愉しく歩くことが出来ました。    

【例会報告】第263回例会 寒峰峠

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日程:2023年9月24日(日) 場所:三好市東祖谷奥の井 寒峰峠 参加者:会員14 名 寒峰峠は、東祖谷の寒峰(1604.8m)を南側に400mほど下ったところにあります。 今回は東祖谷奥ノ井側から寒峰峠までを往復し、途中にある寒峰峠に説明板と標識を設置しました。峠については、設置した説明板の内容を最後に記します。寒峰までの行程中には福寿草の群生地があり2月頃のシーズンにはたくさんの登山者が訪れます。今回の例会では福寿草に出会うことはできませんが、寒峰頂上周辺でたくさんのススキが広がる風景が観られました。また寒峰の頂きからは360°周囲を見渡すことができ、天候にも恵まれて、すばらしい眺望を楽しむことができました。 寒峰峠 寒峰とススキ 寒峰峠の標識 寒峰峠(標高1495メートル) 『東祖谷山村史』によると、寿永4年(1185年)2月、屋島の戦いに敗れた平国盛一行百余騎は、安徳天皇を奉じて讃岐の主水の庄(現在の東かがわ市)にしばらく潜伏した後、大山を越えて阿波に出て、吉野川を遡り、辻から井内谷を通り寒峰(1604.8メートル)に登って、この寒峰峠を経て東祖谷大枝の地に至ったらしい。この地を永住の地と定めた平国盛一行は、神社を建てて鉾を祀った。「鉾神社」には、国盛が記念に植えたとされる大杉が今も残り「国盛杉」と呼ばれている。近辺の11の集落(名)を従え、阿佐を拠所に再挙の日を待ったと伝わっている。 『峠の石造民俗(2000年刊)』によると、寒峰峠は「寒峰のお大師さん」と呼ばれ、峠には大師堂があったようで、その礎石と二基の囲炉裏跡が残っている。礎石から推定すると、奥行き2間半、建坪22畳半あったとのこと。この峠は、加茂から深渕、落合峠を経て、大枝、栃ノ瀬、笹峠を経て高知県大栃を結ぶ交通路で「新道」と呼ばれ、道幅は1間くらいあったようだ。(阿波の峠を歩く会)

【例会報告】第258回例会 四ツ足堂峠

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日程:2023年4月2日(日) 場所:那賀郡那賀町木頭北川日和田 四ツ足堂峠 参加者:会員14 名、一般参加1名 徳島と高知の県境にある四ツ足堂峠は、昭和39年峠の下にトンネルができるまで両県を結ぶ重要な交通路でした。古くは『傍示峠』『比志利賀峠』とも呼ばれ、高知側からは塩や魚など海の産物、徳島側からはミツマタなど山の産物が峠を通って搬出入されていました。 峠には、名の由来である四ツ足堂が建ち、お堂の中に本尊の地蔵尊が祀られています(いるはずであった)。ところが今回の下見で四ツ足堂を訪れると、お堂は大きく傾き今にも崩れ落ちそうな傷み具合。しかも祀られているはずの地蔵尊が見当たらず、お堂の中の朽ちた木材を払い除け探すと、腐葉土の中に埋まった地蔵様が見つかりました。 この状況を見て、今回の例会に合わせ、阿波の峠を歩く会で、地蔵を祀るための小さな木の祠をお堂内に設置することとしました。 ミツマタ群落 沢で休憩 四ツ足堂峠 四ツ足堂 四ツ足堂 祠設置後 祠 地蔵尊。素朴な石像でやさしいお顔です また、お堂を訪れた方に見ていただけるよう、現地には説明板も設置しました(下記) 四ツ足堂の沿革 天成16年(1588)に実施・記録された『長宗我部地検帳』に「阿波との境は峯堂まで」との記載があることから「四ツ足堂」の創建はそれ以前と考えられる。地蔵尊は上韮生村(かみにろうむら)の領主・窪源兵衛盛弘が寛永14年(1637)に建立したものと伝わる。元禄12年(1699)に消滅していた“一間四面かやぶきの堂”が阿波・土佐両藩の立会いのもとに現在の位置に再建された。お堂の正面に向かって左側2本の柱は土佐藩側、右の2本は阿波藩側に立てられ、このお堂を「四ツ足堂」と呼んだ。その後、享和元年(1801)の再建記録も残っている。この四ツ足堂峠を越える古道は、那賀川と物部川沿いの道を結ぶとともに阿波と土佐の各国府跡間の最短ルートで、養老2年(719)から神亀元年(724)に全国的に整備された「養老官道」とも云われている。昭和39年(1964)に四ツ足峠トンネルが開通した際、この地蔵尊をトンネル内に移そうとしたが隠れていなくなったため、トンネル内には新しい地蔵尊を建立したらしい。この由緒あるお堂と地蔵尊を重要な文化財として後世に遺して伝えたいものである。

【例会報告】第257回例会 居敷越

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日程:2023年3 月5 日(日) 場所:海部郡海陽町中山居敷 居敷越 参加者:会員17 名 居敷越は海陽町中山居敷と宍喰町那佐を結ぶ峠です。この地域では、江戸時代に土佐街道でもあった馬路越と共に物・人の往来にとって重要なルートであり、戦後まではたくさんの人が利用していました。 今回は北側の中山居敷から峠を越え、南側の宍喰那佐へ抜けるコースを歩きました。峠みちに取りつく前に、雨乞いの慣習が残る明神谷の轟の滝に立ち寄りました。冬季の為、水量が少なかったのが残念ですが綺麗な谷川沿い歩きを満喫することができました。 谷川を越えて 轟の滝にて 居敷越えは標高142ⅿと手軽に峠歩きが楽しめるコースです。事前に会員がシダ刈りなど整備していたので道は歩きやすく、予定よりも早く峠へ辿り着きました。 峠には二体の地蔵が祀られています。大正時代建立の地蔵と伝わっています。現在の峠は防風林に覆われて見晴らしは悪いですが、大正期は那佐湾が一望できたのでしょう。 居敷越の地蔵 峠で昼ごはんとしました。恒例となった副会長による峠カフェや、撮影・歓談で峠滞在を楽しみました。(副会長いつも有難うございます) 峠時間を愉しむ 峠行の後、牟岐町立図書館で開催中の『阿波の峠を歩く会 写真展』を訪れました。徳島県内の峠にある石造物を会員自らが撮った写真と紹介文をパネルに掲載しています。

【例会報告】第256回例会 八重地峠・後山峠

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日程: 2022年12月11日(日) 場所:勝浦郡上勝町 八重地峠、那賀郡那賀町 後山峠 参加者:会員12 名 八重地峠は上勝町旭八重地と那賀郡那賀町寺内を結ぶ峠で標高およそ1030mです。昭和初期、ここから標高1060mの後山峠までおよそ2.5㎞の間をトロッコが走っていました。今回はこのトロッコ道跡の一部を歩き、ハ重地峠、後山峠を訪れました。 八重地峠 八重地峠には、明治34年に建てられた地蔵尊像と不動明王像が仲良く並んでいます。二体の石像横に見えるトロッコ道(跡)は林業が盛んであった時代に、木材を運び出すためのものでしたが、現在はレールは撤収されています。 トロッコ軌道と後山峠 [徳島県林業史より] 現在の後山峠(モノクロ像にしてます) 後山峠にはトロッコ軌道の分岐がありました。徳島県林業史の中に当時の写真があるのでお借りします。比較のため現在の後山峠の写真を並べてみます。右奥方向が八重地峠、左奥方向が三つ尾の峠へ延びるトロッコ軌道です。中央奥には作業小屋らしきものも見え、現在もその場所は平坦で建造物があったことが伺えます。八重地峠へ向かうレール上には大きな丸木を積んだトロッコが走っています。

【例会報告】第255回例会 越太尾

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日程:2022年11 月26 日(土) 場所:勝浦郡上勝町 越太尾 参加者:会員15 名 上勝町旭にある越田尾(こえんたお)を歩きました。 ここは自動車が発達する前、徳島⇔木沢を歩いた往還道の一部でした。 今でも地元の方により峠周辺は綺麗に手入れされています。 当時を想い峠歩きが楽しめました。 越田尾で記念写真 参加者の感想を紹介します。 ・峠には石造物が多く地元の人々の信仰心が強かったこと、また大勢の人が往来し、周辺にたくさんの人が住んでいたことが偲ばれた ・餌付けされたヤマガラと触れ合うことができた。可愛かった ・峠にある大きな不動明王像がどういう経緯で立てられたのか?知りたいと思った

【例会報告】第254回例会 大坂峠古道

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日程: 2022年10月30日(日) 場所:鳴門市北灘町 大坂峠 参加者:会員13 名 義経も駆け抜けたといわれる大坂峠古道を訪れました。 東かがわ市坂元の大坂峠古道の案内板をスタートして、峠までの登りを古道、下りを明治以降に整備された旧道に沿ってあるきました。案内板によると大坂峠古道が讃岐坂元と徳島板野を結ぶ主要道であったことが書かれています。古道起点に立つ文化14年建立の『寿可多美乃地蔵(すがたみのじぞう)』の台座には大きく「右大坂道」と刻まれ、ここから大坂越えが始まることが判ります。                                   寿可多美乃地蔵 左 なる戸(鳴門)   右 大坂道 大坂越えの古道は文化庁の『歴史の道百選』にも選ばれていますが、人はあまり歩いていない様で荒れており残念ではありましたが、時折みられる丁石や水場から峠越えの古道雰囲気を感じることができました。 大坂峠周辺は広く拓けており、明治年代には『豆茶屋』『吟味所(番所)跡』『大師堂』があったとのことでその形跡を見ることが出来ました。 大坂峠にて

【例会報告】第253回例会 落合峠、矢筈山

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日程: 2022年9月25日(日) 場所:三好市東祖谷落合 落合峠、矢筈山 参加者:会員11 名 残暑が続くなか、少しでも涼を求めて標高が高い峠を選び歩きました。 標高1520mの落合峠は阿波の峠のうち、最も高い位置にある峠です。落合峠からは矢筈山(1848.8m)へ登山道が整備されており、今回はこの人気登山コースを歩きました。 矢筈山の名の由来は、その名の通り、遠目から望む姿が矢筈のようであることからと云われています。当日は、晴天に恵まれ山頂からの見晴らしが素晴らしかったです。 矢筈山にて また、落合峠をよく知る会員から、昔と比べ峠のススキがほぼ全滅に近くなっている、笹の生態が変わってきているなど、峠の過去・現在について貴重な解説をいただきました

【例会報告】第252回例会 小島峠と亀尻峠

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日程: 2022年7月10日(日) 場所:三好市東祖谷菅生 小島峠、東祖谷西山 亀尻峠 参加者:会員15 名、一般1名 寛政5年(1793年)に記された祖谷紀行にも載っている小島峠と亀尻峠を訪れました。 現在の[新]小島峠は県道261号(菅生伊良原線)にありますが、訪れた[旧]小島峠は、県道の[新]小島峠から南西に500mほど離れた標高1316mの場所にあります。 中世の菅生領主が、他領地から『おしま』という女を連れてこの峠を還ったことから峠の名がついたとの説があります。峠には天明6年(1786年)建立の地蔵が、現在も現地の方のお世話により綺麗に祀られています。 旧小島峠 小島峠の地蔵 亀尻峠にはあごなし地蔵が祀られています。 あごなし地蔵は隠岐が発祥で、歯医者がなかった時代に、あごなし地蔵をお参りして歯の健康、治癒を祈念したそうです。 平安時代の嵯峨天皇の時に、小野妹子の子孫にあたる小野篁(たかむら)という人が遣唐使の選出を断ったために隠岐へ島流しにされました。その後、小野篁は、隠岐で『あこな』という地元の娘と知り合い親密な仲となりました。ところが、2年後に小野篁は京都へ帰ることになり、あこなとの別れを惜しみ地蔵を2体彫り渡しました。後世に、この地蔵が首から上の病気、特に歯痛の悩みを聞いてくれると有名になり、これにあやかり、隠岐で彫ったあごなし地蔵を日本各地へ持ち帰り歯痛の祈念をするようになったとのことです。あこなの地蔵が、あごなし地蔵へ転訛したと謂われています(諸説あり) 亀尻峠のあごなし地蔵は、明治20年に阿佐地区の平尾大吉という方が明治20年に48歳の時に隠岐から持ち帰ったものらしいです。歯痛で苦しんでいる村人のために持ち帰って峠へお祀りしたのでしょう。 亀尻峠へ向かう 亀尻峠 あごなし地蔵